針を持てよ、競馬場へ出掛けよう

手芸と競馬、時々書評中心の雑記帖

シン・ゴジラがみせてくれたのは、何だったのか【すごい。まるで進化だ】

 

 さて、ロングラン上映も決まり、まだまだ楽しませてくれるシンゴジにフィーバーしております。

 

 考察感想も三回目になりました。毎度の注意です。

  前回の記事です。

 

tommy-goround.hatenablog.com

 

※※※そもそも、鑑賞済みの方を対象、もしくは今の時点で見に行く気ないし~、ネタバレかもんwwという方にしかオススメできない記事です。おいおい! ぬるっとネタバレすんなよ⁉ となられる方は、自己責任でお願いします。※※※

 

 

【鑑賞三回目】

 前回の4DX鑑賞から興奮冷めやらぬまま、三日後に三回目の鑑賞がやってきました。

待ちに待った、きっと語り合えるに違いない友人とのシンゴジです!! ワクワクし過ぎて、映画館に着くと何故か緊張していました(笑)。

 

 

 上映が始まってすぐに

 

(これ、メモ取るべきだわ)

 

と手帳を出し、真っ暗闇の中、夢中でペンを走らせました。この時はまだ、ブログ記事にしようとは考えておらず備忘録程度に考えていたので、解読は相当困難でした……。

 でもこのヒエログリフとその後まとめた解読ノートのお陰で、記事にすることができました。頭の中を整理整頓できて、他の方に伝えることもできたので、よかった~~! 隣の人には不審がられたことだろう。。ごめんね☆

 

 

一回目の鑑賞では、『初代ゴジラ上映当時と、シン・ゴジラの現在が限りなく近い立ち位置でテーマを共有していた』ということ、

二回目の鑑賞では、『全く異なるやり方で、同じ目標達成のために奔走した矢口と赤坂は、破壊と再生で国に希望をもたらせた』

という感想を持ちました。

 

 三回目は半分くらいはメモ取りと、すっかり夢中になってしまった安田くんに気を囚われてしまったのですが、その日の夜にヒエログリフをまとめている時、新たな気付きがありました。

 

 それは、『進化=成長』です。

 主人公の矢口蘭堂、赤坂先生、カヨコの主要人物はもちろんのこと、巨災対のメンバーたち、大河内首相。それこそ、ゴジラが形態を変え進化するように。

 

 矢口は大河内内閣では、浮いた存在でした。新入社員の如くおかしいと思ったら、とにかく指摘します。社会人を経験した人なら、大体の方が「そんなに空気読まずに、若手が持論展開しちゃ駄目だろ⁉」冷や冷やされたのでは? かく言う私もそんな経験で大失敗してきたので、「おいおい、駄目だよ蘭ちゃん!」と自分のことのように心配しながら見ていました。立川移転後、矢口がはっきり物申す理由が、本人の口から明らかになります。

「政界は敵か味方はっきりしていてわかりやすい。シンプルだ、性に合っている」

 恐らく会社員時代(庵野監督による公式設定より)は、相当上とやり合った、可愛くない奴だったんでしょうね……。(ものすごく親近感湧くわ)

 自分を尊敬している従順な志村くんや、ナイス嫁力を発揮してくれる裏ヒロインとも言われる泉ちゃんは数少ない味方なのでしょう。赤坂は敵とは言い切れませんし、東官房長官はなんだかんだで目を掛けてくれています。それでもレクチャーや会議の様子を見る限り、邪険にするわけにもいかない鬱陶しい二世議員と扱われているのは、大体察しがつきます。その点から行くと、『首を斜めに振らない連中』の集まりである巨災対と矢口が上手くやっていけるのは、彼自身も彼らと同種だからではないでしょうか。きっと今までも幾度も長官や赤坂にたしなめられてきたのでしょう。http://www.cinra.net/uploads/img/news/2016/20160616-shingodzilla08.jpg

 そんな彼が初めてゴジラを目の当たりにした時、

「すごい。まるで進化だ」

と口にします。

 圧倒的破壊力と人類に絶望感を与える存在を前に、行き場のない怒りを露わにします。長官と最後に交わした言葉、「あとで会おう」「はい、這ってでも行きます」のやり取りから、それなりの信頼関係と恩義があったのでしょう。(余談ですが、私はこの「這ってでも行きます」に第二形態である蒲田くんが、這いつくばって上陸してきたことへのメタファーと受け取りました。この時の矢口はまだ第二形態だったのでは?)

 そして遣る瀬無いイライラを当たり散らす彼を正気にさせる名シーン、泉ちゃんの水ドン。

「まずは君が落ち着け」

 正気を取り戻した矢口の表情は晴れやかになり、ここで覚悟を新たにします。ここでランドゥー第三形態になります。物凄く細かい点ですが、立川予備施設移転後は、今までずっとつけっ放しだったネクタイを、外したり付けたりするようになります。TPOに合わせているのはもちろんですが、外すということで本当の意味で、国会議員から巨災対の副本部長としてメンバーになったのではないでしょうか。ネクタイを外した矢口は、一民間人になる。

 第四形態ゴジラの都内放射能ビーム後、巨対災メンバーはそれぞれ誰かを失います。尾頭さんは課長補佐から課長代理になったことで課長を、安田くんは巨災対メンバーだった同じ文科省の部下二名を、そして真相は定かではありませんが、森部長は休憩時間にいじっていた携帯(不在着信やメールのやり取りをしていた)にその後一切触れていないことから、ご家族を亡くしたと考えられます。同じ痛みを共有したことで、本当の仲間になったのだと思います。だからこそ、鎮痛な表情を浮かべるメンバーの前でする政治家らしい演説が、上辺の綺麗事にならず、心に染み入る綺麗事になるのです。

 それはヤシオリ作戦直前の作戦実行班の自衛隊員、民間協力者を前でする演説でも同じことが言えます。

自衛隊はこの国を守る最後の砦です。希望はこの現場にある」(またまた余談ですが、後半のセリフは音楽で繋がりのある『踊る大走査線』のオマージュだと思います)

 これは矢口本人が、自分の命よりこの国を十年先まで残すことを選び、前線に立つからこそ、その場の誰の胸にも響く言葉になるのです。当事者としての言葉であるから。

 その熱意は多くの犠牲者を出し続けても尚、前線に立つ自衛隊にこれより前から既に伝わっていました。私が一番格好いいと思っている名シーン、財前統合幕僚長の「礼は要りません。仕事ですから」の笑顔からわかります。

 

 

 

 ここに到達するまでに核攻撃の延期要請という大きな困難がありました。巨災対がヤシオリ作戦を持てる力全てを結集させてすすめる中、政治家たちは外交手段を使って三度目の原爆投下を必死に回避させようとしました。

 ここでカヨコ・アン・パタースンの成長が垣間見られます。初めは分かりやすいくらいに高飛車でプライドが高く、気の強そうな『ザ・アスカ・惣流・ラングレー』なカヨコ。上昇志向も高く、四十代で大統領就任を目指す、完全潔癖な経歴と相当大物らしい父を持つ名門のお嬢様。そのカヨコの絶対的目標をも揺るがしたのは、血でした。

 日本人の祖母を持つ彼女は、恐らくおばあちゃんっ子だったのでしょう。日本という国への思い入れと、生まれ育った祖国アメリカの間で心が揺れ動きます。「祖母を不幸にした核を、祖国に三度も落とさせたくない」その思いが、彼女の今まで頑なに守ってきたものたちを手放させます。自分にとって本当に大事なことに気付くのです。

 だからといって、目標は手放さないところがカヨコらしいところ。友情の芽生えた矢口に、冗談とも本気とも取れる言葉を投げて、「だから辞めないでよ」と言い残します。

 カヨコは矢口に日本の決定権について問います。総辞職ビーム前の官邸で「あなたの国では誰が決めるの?」と。矢口はそれには答えません。説明するまでもありませんが、日本は責任の所在を有耶無耶にするのは、お家芸です。それでも責任を取る時は、辞職する時。そういう意味では、初期対応の遅さ、事態を甘く見て被害を拡大させた責任を、ゴジラのビームによって取ったのかもしれません。死を持って償う、というのは日本特有の感覚だそうです。全く笑えない比喩ですが、そういった日本の価値観を表したシーンだったのかもしれません。

 

 さて今度は立川で核兵器投下について、カヨコと矢口が話すシーンでカヨコが

「この国で好きを通すのは難しいわね」

と同情を寄せた表情で投げ掛けます。それに対し、矢口は

「そうだな、一人ではな」

と微笑んで返します。これは前述のように巨災対という仲間や、思いを同じくした赤坂など、もう一人で闘っているわけではないことを示唆しています。闘う相手は、尾頭さんが「一番怖いのは私たち人間の方ね」と発言するように、ゴジラではありません。この考察記事の一回目で書いたように、「そうです。生物だから駆除できるんです」と赤坂が言います。逆を言えば、人間や国は簡単に駆除することはできません。根気強い説得と、裏からの外交取引など、ある意味ゴジラより厄介です。

 

 そこで出てくるのが、急拵えの里見新内閣です。矢口が「次のリーダーがすぐ決まるのが、この国のいいところだ」と発言するように、3.11当時も震災後すぐに新内閣が発足しましたね。亡くなった大河内総理は登場から死去までのほんの数日間で、リーダーとしての自覚が育っていきました。初めは現実の多くの政治家と同じく、責任逃れと事なかれ主義の中で決断を迫られます。女房役である内閣官房長官の東長官から、「ここは苦しいところですが、ご決断を」と心情を察しつつ促される度に返す返事が、少しずつ変化していきます。

 

わかった→わかっている→わかっている、やってくれ

 

と続き、自衛隊の武器使用承認時は

 

「使用を許可する」とついに自主的な返答になり、

最後は「許可します」と一国のリーダーとして自覚を持った力強く静かな決断を下します。

 また永田町から退避を促された際には、「私にここを、都民を捨てろというのか⁉」と命を賭す覚悟までします。しかし、それは総理大臣としてするべき判断ではない。矢口らに「総理にはもっと守るべき国民と国があります」と説得され、立川への退避を決断します。そしてそれは、皮肉にも自らの運命を決める決断になってしまいます。

 東京を中心とした関東が日本の経済の大部分を担っていることは、現実でも3.11時に浮き彫りになりました。新聞記者らの雑談で交わされるように、いかに日本が中央政権であるか、それがどれだけの危険を孕んでいるか。庵野監督はそんな『現実』も織り込んだのでしょう。

 

 さて話を里見内閣に移しましょう。消去法で総理になった里見総理は、初めひどく頼りなく、大丈夫か? と周りも心配になります。この内閣は、とにかく『巨大不明生物駆逐を早急に収束させるため』発足された、言わば責任を取るためだけの存在です。そのせいか、里見総理はぼやきつつも、アメリカや連合国軍からの一方的な要求を飲み、判子を押印するだけの簡単なお仕事を続けます。

 でもただのポンコツではありません。あの泉ちゃんからも「腹の読めないお人」と評されるように、真意がどこにあるのか、なかなか示してくれません。そんな総理の本心が少し見えるのが、核攻撃が閣議決定されたと告げられたシーン。

 同室にいる全員が沈痛の面持ちでうな垂れ、「こんなの、酷すぎます‼」と思わず拳を机に叩きつけ、男泣きします。その時静かに総理が「だよなぁ……」となだめます。決して何も感じていないわけではないことがうかがえます。

 また、「二週間待つから、その間に住民を避難させろ」という連合軍からの指示に対して、

「避難とは、市民に生活を根こそぎ捨てさせることだ。簡単に言わないで欲しいよなぁ」と静かに怒りの火を灯します。これに呼応するように、赤坂が核攻撃を受け入れたことを伝えるシーンがあります。

「彼らは、これがもしニューヨークでも同じことをすると言っている」とぐうの音も出ない伝聞をするシーンです。

 これは他の方が考察されていましたが、日本は農耕民族であり、アメリカは開拓民であることに由来があると言う説に同感しました。「ここが駄目なら、また新しい場所に行けばいい」という考え方。これは人間性でも同じことが言えます。「この人、コミュニティーが合わないなら、よそに行けばいい」という、考え方。私はそれができないので、羨ましい思考だなと思います。

 一方日本は、土地に根差し、場所や人、コミュニティーを必死で守ってきた民族です。理由は案外「土地が狭いから」という簡単なものなのかもしれません。だからなかなか、アメリカンスタイルで物事を考えることが、私を含めできない人が多いのではないでしょうか。そりゃ、なかなか分かり合いづらいですよね。

 ちなみにこのセリフは、84年版ゴジラで、同じくアメリカとロシアからゴジラに対して核攻撃を迫られた時に、日本の総理が「それが、ニューヨークやモスクワでも同じことをしますか?」と言い放って回避した展開への、2016年版答えでは、と考察されている方もいました。

 

 もう後はこの二週間で、いかにヤシオリ作戦を決行、成功させるかに日本の将来が託されます。今まで頑なに現実主義者であった赤坂に、変化が起きます。彼だって出来ることなら、三度目の原爆投下なんてさせたくない。思いは、矢口や巨災対、内閣と同じなのです。でも現実だけ見て判断すると、どうしても核を回避することはできない。そこで初めて、矢口の虚構を頼みの綱にするのです。「夢ばかり見ていないで、現実を見ろ」というのは、「夢を現実にして、実現させろ」という裏のメッセージが込められていたのではないでしょうか。

 また今まで助言やフォローをしても、噛み付いたことのなかった赤坂が、総理に対して、少し声を荒げて、本気で言っているのかと問います。そして

「そろそろ好きにされたらいかがでしょうか?」と総理に促します。今まで現実と確定要素を重んじてきた赤坂が、「好きにする」という無謀な虚構に対して、期待を持ち始めたのです。

 この「好きにされたいかがでしょうか」は、牧元教授の書き遺したあのメッセージと、全力で好きを通す矢口と巨災対から受けた影響だと思います。そしてきっと誰よりも苦労して、政治家になった彼だからこそ、好きを通す難しさを知っていたのでしょう。(庵野監督の公式設定より)苦学して努力で昇ってきた、一人で夢を叶えてきた人だからこそ、その大変さをわかっていたのです。そのスタイルから、好きを通すこと、矢口に希望を託したのは、やはり頭より心情に動かされたから。

 このセリフのお陰で、頼りなく見えた里見総理が、実に日本らしい行動で結果的に核攻撃を一時中断させたので、必ず誰かの言動は誰かに影響を及ぼすものなんだな、と感心しました。

 

 事態収束後、矢口と赤坂が交わす会話で、矢口のやり切った希望に満ちた晴れやかな表情と赤坂の「せっかく壊れたんだ。この国を立て直していくさ(セリフ曖昧です)」と口では面倒そうに言っても、これから采配を揮うギラギラとした力強い目は、スクラップとビルドのリレーバトンを渡したシーンなのだと思います。

 

 そしてこれは一個人の成長だけでなく、日本そのものの成長過程を見守る作品だったのだと思います。人間は成長するから変われるし、波及するように影響し合って、結果みんなが変わった。これは今までの日本史全般に言えること。被災した日本が、前を向いて一歩ずつ変わっていく様子を見守る作品だったのかな、とも感じました。

 

〈鑑賞三回目まとめ〉
  • ゴジラ出現をきっかけに、進化するように皆、頑なだった頭を柔軟にし、心で感じるものを大切にすることで、成長していた
  • 矢口はゴジラの進化に合わせるように、一人で頑を張るより、人との関わりを糧に、進化していった
  • 人間ドラマを削ったことで、むしろ各人物のとても些細で確実な変化に気付けた

 

 

 そして三回目鑑賞後は、まんまとハマってくれた友人と念願の感想談義ができて、本当に楽しかったです……! やっぱり語り合いたい作品を、同じく衝撃を受けた人と、感想を共有し合えるって最高ですね♡

 ちなみに三回目にして、初めてエンドロール後に控えめな拍手が、起こりました。みな一様に照れながら、波及していく様は、同じ感動を同じに時間に共有し合えたことが物理的にわかる、今の日本では珍しい現象でした。顔も素性もわからない人たちと、単純な形で分かち合えたことは、とても貴重で嬉しく感慨深く思いました。時期的にも、きっとリピーターさんが多かったのかな?

 

 

 

気付いたらこんな文字数になってました。。最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

もしかしたら、次も書くかも……? 初代を見ようと思っていて、その比較や『シン・ゴジラ』のゴジラとは、牧元教授とは?? とまだまだ、深く考察に沈みたい要素があるので、またまとめたくなったら、書きますね!

 

では、またどこかの記事でお会いできますように☆彡