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手芸と競馬、時々書評中心の雑記帖

シン・ゴジラがみせてくれたのは、何だったのか【ゴジラとは、好きにしろとは?】

お久しぶりです。シンゴジ実況、盛り上がりましたね!!私も参加して、思いっきり楽しみました。

非公式イベントといえども、改めてシン・ゴジラの世界線を追体験することで見えてくるものがありました。一般市民一人一人にも人生と生活があって、脇役やその他大勢という人は存在しないんだな、ということ。これは大発見でした。こんな形でもう一度楽しめるなんて、本当に素敵な作品に出会えて、今年は幸せだったな~と一年を総括しています。

(と書いたまま、年が明けてしまいました……)

さて、記事にするまでだいぶ経ってしまいましたが、初代ゴジラを拝見しました!庵野監督が一番参考にしたという本作と比較しながら、結局ゴジラとは何だったのか?また牧元教授の「好きにしろ」とはどういうことだったのか、考察していきたいと思います。

 

 

tommy-goround.hatenablog.com

 

 前回記事です。

 

ネタバレ喚起は……もういいかな(笑)

 

 

初代ゴジラシン・ゴジラ

 

https://i.ytimg.com/vi/KU9gocRbcDE/hqdefault.jpg

初代ゴジラを初めて真剣に見た正直な感想は

 

え? 終わり?? (ヒロインがイライラする。。)

 

でした(笑)。でもあの時代に、『ゴジラ』という後にも先にも人類が(米国でさえ)一度も勝利できない怪獣が生み出された、ということは本当にすごいですね。特撮には詳しくありませんが、0から生む苦しみは尋常ではなく、それが半世紀以上世界中から愛される存在を、戦後間もない日本で誕生したことは、それだけで称賛に価すると感動します。

 

さて、初代ゴジラシン・ゴジラは、似て非なる存在だと感じました。

初代の原動力は、怒り。二度もの原爆投下で人類を地獄に突き落とした核を、たった数年後に性懲りもなく水爆実験という形で再現した人類。これは当時の日本人の怒りであり、自然の怒りでもあったはずです。「水爆実験反対、核保有の反対」と、声を上げるだけでなく、怒りの化身を娯楽映画の形を借りて訴えた当時の制作陣の思いを感じます。

怒りの化身であるゴジラは、双子の妖精の歌声でも乙女の涙でも止まりません。破壊の限りを尽くします。積極的に壊します。この映画は、戦争映画でもあると感じました。水爆実験を止めない国に対して、核に相当する誰も止めることのできない兵器『ゴジラ』で対抗したのではないでしょうか。

 

対してシン・ゴジラ。こちらは哀しみの化身だと思います。これは牧元教授が一体化した説から思い付いたのですが、彼の心がゴジラに溶け込んだためではないでしょうか。私が今まで見てきた『モスラvsゴジラ』や『ゴジラ・ミレニアム』でのゴジラは、初代と同じく建物中心に破壊していたように思います。(その方が、迫力があるから?)しかし、シン・ゴジラは建物よりも人間を狙って進行していたように思います。故に明確な目的を持って「襲い掛かってくる」という恐怖を感じました。

また、これはあくまで個人の感想ですが、熱光線を苦しそうに吐き切った後、ゴジラは目の表情を変え、俯き加減に哀しい目をします。「憎くて仕方なかったはずなのに、全く気が晴れない。こんなことをしたいんじゃない……」とでも言いたげに映りました。

 

散りばめられたオマージュ

作品を見ていて、「あっ」と何度声を上げたでしょう。庵野作品のファンの方なら、私よりもずっと多くオマージュやパロディを見つけたことかと思います。恐れながら、そのいくつかを紐解きたいと思います。

 

風の谷のナウシカ

これは若き庵野監督が新人時代に関わり、エヴァンゲリオンの原型になっていたり、『巨神兵、東京に現る』で自らリメイクしている程、思い入れのある作品ですね。

ナウシカの世界は、世界崩壊の後の世界です。その元凶が、巨神兵による『炎の七日間』です。印象的だったのは、そのシーンを彷彿とさせる炎をバックに赤坂から東京駅へ向かうゴジラのカットです。人類が生み出した最強最悪の兵器に、逆襲される構図は、核をエネルギーに巨大化したゴジラ、ひいてはチェルノブイリ原発福島第一原発を思わせます。力は必ず諸刃の剣であることを、人間はどうしても忘れてしまう生き物なのですね。

ゴジラが最初に現れ去った日の夜には、ゴジラ擁護派が存在しました。ここで議論するつもりはありませんが、原発についても様々な意見があります。しかしゴジラは、人間に危害を加え、放射能を撒き散らすと分かった途端、そういった主張はなくなりました。『ゴジラは神だ』という主張もありましたが、あれは清濁合わせ飲んだ意味では正しかったのかもしれません。

 

エヴァンゲリオン

あの「デーン デーン デーン デーン デンデン」の音楽で、うぉ!とならなかった方は、ほとんどいないのでは?(笑)。細かすぎて伝わらない選手権な箇所ですが、ヤシオリ作戦終結直後の「ゴジラ、完全に沈黙しました」のセリフは、「ネルフだ!」と妙にテンションが上がってしましました。

またキーパーソンである、牧元教授と碇ゲンドウの類似点について、後述で触れます。

エヴァに関しては、生兵法になり兼ねないので、あまり深くは掘り下げないでおきます……。目下、再放送で勉強中です。

 

一方で今までのゴジラシリーズには無かった、独自の展開もありました。

先述のように今までは、破壊しまくる一方のゴジラ様でしたが、今回はその建物や電車に攻撃されることになりました。

グッズ化される程人気の『無人型在来線爆弾』らは、乗り入れのある故・京浜急行線の敵を取ります。また『無人型ビル群爆弾』(と勝手に命名)は、現時点では存在していない建設予定のビルだったそうです。消されかけている未来に、抵抗されたのかもしれませんね。

 

 

ゴジラとは何だったのか

何度観ても残る謎があります。むしろ見る度に謎が増えると言っても、過言ではありません。

中でも、ラストカットの『人型にせり出した不気味な尻尾』。先日発売になった『ジ・アート』に答え合わせがあるかもしれませんが、私の仮説で進めます。

あの凍結が少しでも遅れていたら、あの人型ゴジラが量産されて、この世は終わっていたと、耳にしたことがあります。では何故人型なのか?これは犠牲になった人の残留思念や牧元教授の分身など、色々な説がありますが、私はゴジラが『神なる存在』だからではないかと思います。

キリスト教では、神は人を自分と同じ形に創られたと言われています。

神と違い、ゴジラは元々自然から生まれた古代生物が、人間に不法投棄された核燃料をエサに進化したものです。言わば、神が生み、人の手によって故意に兵器へと育ってしまった、人工の神です。

あのままヤシオリ作戦が失敗に終わっていたら、同じ姿形をした化物に、人類は駆逐される運命にあったと思うと、恐ろしいですね……。

一方で終盤、尾頭さんが嬉し涙を浮かべて安堵する、ゴジラを使って二、三年以内に除染できるという希望。矢口ら人間に敗北したゴジラは、人類が生き残る道を授けます。矢口のセリフにもあるように、ゴジラは脅威であると共に福音なのかもしれません。『神』は時に前触れもなく奪いますが、与えもする存在。シン・ゴジラは、そんな神と人間の物語でもあったのかもしれません。

ラストにある矢口の「この国、いや我々人類はもはやゴジラと共存していくしかない」というセリフは、今もまだ解決の糸口が見えていない福島第一原発へのメッセージだと受け取りました。

 

牧元教授の「好きにしろ」とは

最後に、写真でしか登場しないのに観た人に存在感を与える牧元教授と、「好きにしろ」の真意を考えてみたいと思います。

彼の出身地大戸島は、初代でもゴジラ伝説に縁のある地として、出てきます。

元教授は妻を、恐らく原爆、水爆実験もしくは、放射線治療の失敗などで失ったと考えられます。ヒントの与え方や妻への執着から、エヴァ碇ゲンドウのような偏屈な科学者だったのではないでしょうか。そんな彼の唯一の理解者であった、碇ユイ……(笑)ではなくて、亡くなった妻。

エヴァとシンクロするのは息子のシンジ君ですが、元教授はゴジラと一体化することで、人間への復讐を誓いつつも、完全には希望を捨てきることはできませんでした。その希望が、偏屈な彼らしい難解な数々のヒントを残すことで、自分一人では辿り着けなかった『答え』を人類に託したのではないでしょうか。きっと彼に足りなかったのは、仲間だったのだと思います。圧倒的な孤独に屈して、ゴジラに身を投じたのでしょう。

私の妄想ですが、彼が破滅のみを選ばなかったのは、きっと妻と過ごした幸せな日々と妻の愛したこの世界を、踏み潰すことができなかったのでは、と考えると不憫で居たたまれません。だから、自分のように神と共に自滅するのも、何かしらの光明を見い出して共存の道を行くのも、真っ向からぶつかって人類もろともゴジラと滅するのも、「好きにしろ」だったのではないでしょうか。

 

まとめ

初代ゴジラの原動力は怒り、シン・ゴジラは哀しみ

ゴジラは殺生与奪を持った神のような存在

牧元教授の最後に残った希望が、人類に生き残る道を与えた

絶対的力は、必ず何か代償を要する諸刃の剣

 

そうそう、最後に興味深いなと思ったことを一つ。一緒に三回目の鑑賞をした川崎出身の友人が、同じ地元の友人が武蔵小杉で観て感動したと言っていたと聞きました。彼女自身もぜひ今度は、そこで観たいと言いました。また別の友人は、自宅近くの泉岳寺駅が出てきたことに感動していましたし、前述のように立川付近在住の私は、立川で初回を観られたことに感動しました。

神奈川県、東京都に縁のある人にとっては、自分にとって思い入れの強い場所で鑑賞することで、感じ方が変わるというのは面白いなと思いました。映画はどこで観ても同じ、という私の概念を覆す作品でもありました。

 

2016年、『シン・ゴジラ』という作品に出会えたことは、大袈裟ではなく私にとっての宝物です。「ちょっと観に行ってみようかな?」そう思った私、実際足を運んだ私、グッジョブ……!!

 

 

今回を持って、全四回に亘ってお送りした『シン・ゴジラ』考察記事は、終了です。ここまで読んで下さった方も、今回を初めて目にして下さった方も、本当にありがとうございました!!

まっさか、おまけ程度に構想していた最終回がこんなボリュームになるとは……。でも、初秋に出会った、人生がひっくり変えるような衝撃をくれた『シン・ゴジラ』という作品への興奮した熱い思いや考察、妄想を文字に書き起こせて、自分の中でも整理がつきました。そんな自己満足な記事を、楽しんで下さった方、感想を下さった方、何より読むことで思いを共有して下さった皆さんがいたことが、本当に意味のあるものに変わった瞬間だなと、今更ネットの凄さに感動しています。

 

このブログは、ぐっちゃぐちゃな私の脳内を、文章という形態で整理整頓するお片付けツールなので、テーマはほんとバラバラです。また面白いと思ってもらえるようなテーマの時に、出会えたら幸いです。

 

ではまた、私のリビドーが暴走した時に~(笑)!