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手芸と競馬、時々書評中心の雑記帖

シン・ゴジラがみせてくれたのは、何だったのか【初代とシンが憑依する】

 大変ご無沙汰しております。とんです、生きていました。

 スヌード企画やら持たない生活企画やら、全部頭打ちで放置して、すみませんでした。(全力土下座)

 突然のときめきメモリアルGirl’s side3rdStoryという所謂乙女ゲームに、嵌まり込んでおりまして、、そしたら今度は、急にシン・ゴジラに心奪われていました。奴はルパンでした……。

 

 というわけで、久しぶりに突然『シン・ゴジラにぶん捕られた私のハートの行方について』の考察をぶっこもうと思います。異論は認めません。

 

 

 

※※※そもそも、鑑賞済みの方を対象、もしくは今の時点で見に行く気ないし~、ネタバレかもんwwという方にしかオススメできない記事です。おいおい! ぬるっとネタバレすんなよ⁉ となられる方は、自己責任でお願いします。※※※

 「シンゴジラ 現実 虚構」の画像検索結果

 (©東宝 画像お借りしました)

 

 シンゴジラ公開が発表になった時、「またエヴァに頼った映画業界の必死の一手か~」くらいに思っていました。庵野監督を起用すれば、ある程度のファンが来ると見越したのだろう、と正直東宝を冷たい目で見ていました。

 それが実際公開されると、大して宣伝が打たれるでもないし、Twitter上では誰もネタバレしないのに、大盛り上がり。中でも「人間ドラマや恋愛要素といった”女性好きする“ポイントが、一切排除されている。だけど女性を含め多くの人たちは充分楽しんでいる。じゃあ、マスメディアが言う『女性向け要素』ってなんなの?(笑)」といったツイートが目を引きました。

 更に、「3.11を経験した日本人(在日外国人含む)だからこそ肌で感じることができる部分を、あえて一切説明していない。だからこそ、切に胸に迫ってくるし、『現実vs虚構』というテーマが活きてくる。逆にそれ以外の人にとっては、つまらないかもしれない」といった内容にも、心惹かれた。そうして毎日サブリミナル効果のように、Twitter(ツイ廃してたので)の刷り込みにより、「見たいかも、見たい、絶対見たい! 見゛だい゛ぃいいい!!!!!」と恋い焦がれていったのです。すごいですよね、その間にたったの一度もテレビCMで見てないんですよ? (私が見てないだけかもですが)いや~私、Twitterって怖いっ! 身近にあり過ぎて、スッと懐に入って居座るんだもん。

 

 

 さて、私が恋した『シン・ゴジラ』を初めて見たのは、少し集客も落ち着き始めた9月中頃。

 場所はなんと、極上爆音上映で有名な立川。そう、鑑賞済の方はニヤニヤされる、シンゴジ聖地のあの、立川……! 見終わった後、なんて贅沢なんだ、と幸福を噛み締めました。。

 

 

 そんなこんなで特撮マニアでもミリオタでも内閣腐女子でもない私による、通算3回鑑賞した『シン・ゴジラ』のなんてことのない考察感想を、気が済むまでやろうと思います。

 

 

だって、

 

私は好きにした、君らも好きにしろ

 

 

 

にしていいんでしょ?(ニヤニヤ)

 

 

 

【鑑賞一回目】

 冒頭の通称蒲田くんこと第一形態ゴジラが、蒲田の街を這いつくばって襲うシーンは、記憶が呼び覚まされて自然と顔を歪めました。もちろん、思い起こされるのは、東日本大震災のあの津波の映像。もうこのシーンの時点で、虚構(ゴジラ出現)に取り込まれて、現実と脳が錯覚を起こしていたのでしょう。逃げ惑う人々、川から押し寄せてくる船の群れ、とにかく辛かった。

 「劇中で人間の死を軽く扱っている」という批判もあるようですが、私は瓦礫の山と化した大田区を参る主人公たちが目にする、被災した人のはみ出した足が、語らずともすでに知っている感覚で補完してくれていたと思います。

 その後も「人の死」は、間接的な表現で一瞬のシーンで記憶に触れて回っていきます。立川に辿り着けなかった巨災対メンバーの「廃棄」と貼られたPC、恐らくご家族を亡くした森課長の表情、その森課長の顔を窺う安田くんの真っ赤な潤んだ目。

 

 本来3時間の内容を2時間強に収めたため、端折られたシーンもあると思いますが、「人の死がこれだけ身近にあること」を誰よりも知っている私たちに、庵野監督はあえてリアルな一コマを見せることで、よりその死を悼んだのではないでしょうか。

 そして美しさと恐怖が一体になった都心での放射能吐射シーンは、もう涙が流れて仕方なかった。恐ろしいものを見た時、人は目を離すことができず、釘付けになってしまう。これも、3.11で経験したことでした。

 初めは日本国家らしく、責任逃れ、事なかれ主義でうんざりするほどリアルなエラい大人たちも、肝を据えて、国を守る決意を固めた頃、皮肉にも失われてしまいます。(内閣総辞職ビームとはよく言ったものです)

 ここでついに、「ゴジラ放射能を噴く」ことがわかり、3.11に福島第一原発事故とリンクします。内閣総辞職の前にも、政治家たちはゴジラより原発の心配をしていました。まさか、巨大不明生物自体が、一つの生きる原発炉であることも知らずに。この作品は「円谷英二が誕生していなかった世界」であるそうで、更に3.11が起きていない世界であると思われます。そのため有事の際にすぐ原発放射線量を心配する、という人々の思考はメタファーになっています。

 「シンゴジラ 放射熱線」の画像検索結果

 

 こうして初代ゴジラの『戦後日本と原爆投下、止まない水爆実験』というテーマは、シン・ゴジラでは『3.11を経験した復興途中の日本と未だ解決の糸口が見つからない原発事故』という形で、タイムスリップすることなく、限りなく近しい目線で当時の観客に憑依して見ることができた。と私は思っています。決して同じ立ち位置ではなく、限りなく近い、というところが、庵野監督の目指した2016年の『新・真・シン・ゴジラ』だったのではないでしょうか。

 

 真実=現実を追求した映像作りがリアリティを生み、新=私たちにとって既に古典的な存在であるゴジラを、現代人が新たに経験した恐怖を虚構という形で新しく具現化した。この二つの『シン』を庵野ゴジラから感じました。

 そしてそんなリアリティを極めた虚構に、粛々と立ち向かう人々。決して主人公を含めて彼らは、ゴジラと闘っているわけではありません。あくまで、『駆除』に尽力しているんです。赤坂先生(竹野内豊)が「そうです、生物だから駆除できるんです」と言うように、現実で虚構に対抗し、むしろ諸外国や人間と闘います。

 この作品には絶対的ヒーローも、チート主人公も出てきません。(足を引っ張るヒロインもいません(笑)むしろ、みんなハンサムウーマン……!)自分ができることを、誰のためでもなく働く人々の姿は、前線に立つ主人公や自衛隊員、作戦の準備を不眠不休で進める巨災対の面々、見えないところで頭を下げ狡猾な外交手段に奔走する政治家、官僚から、お茶を汲んでくれるおばちゃん(ベストオブ癒しイヤー)まで、本当に尊いと感じました。

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 冒頭で書いたように、舞台が立川へ移動後は、事あるごとに「あ、今私は同じ立川にいるんだ……!」と思い出しては、ワクワクしたり誇らしくなったりしました。普段は戦闘機が空を飛んでいても、「あ~飛んでるな~」くらいにしか感じない存在ですが、自衛隊という存在の有難みと信頼をこんな形で感じることになるとは、思いませんでした。

 

 

 ここまで「これは、すごいぞ。やばい、大変なことになった!!」と感じた映画は、小学生の頃見た「もののけ姫」以来でした。残念ながら一緒に見に行った人は、あまり楽しめなかったので、その後熱く語ることができず、私としては不完全燃焼でした。。

 なので、これはもう一度誰か、この思いを共有できる、あるいは喧々諤々語り合える人と見なければ! と心に誓い、帰りには二度目の鑑賞を決めました。

 

〈鑑賞一回目まとめ〉
  • 初代ゴジラとのテーマの共有が、あの日を経験した私たちだから可能な作品だった。
  • 現実と虚構に立ち向かうごく普通の『働く人』の尊さに心を揺さぶられた。

 

 

 なんとこの後、リピートが一度では済まなかったんですね~~wwwww

 見る度に心に刺さる箇所と感想が更新されていきました。いや、本当にすごい作品だ……。なので、この『シン・ゴジラ』考察感想記事、続きます(笑)

 

 

 

 

それではまた、次回の更新でお会いしましょう! ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました~。

 

続き記事はこちら

 

tommy-goround.hatenablog.com